三角関係にはなりたくない
恋愛において、三角関係と呼ばれる関係があります。三人の間で、感情が絡み合うといった説明で理解できるでしょうか。
書道の中の三角関係にも、一応、三人以上の人が登場します。(三角関係は僕が好きで使っている用語です。書道をしている人がよく使っているわけではありません。)わかりやすく言えば、一人目はもちろん自分。二人目は古典、つまり古典の作者。そして三人目は、「お手本」の存在であったり、ほかの人の「臨書」であったりします。
二人の世界にほかの人が入り込むことができないように、臨書活動の理想は、その古典と自分が100%見つめ合うといった形になることです。
しかし、誰かに習うという過程の中ではお手本というものが存在します。もちろんそれは、先生・師匠の書いたものであったり、書籍や競書雑誌に掲載されているものだったりで、それを参考にしたりすることは、当然の活動だと考えている人も多いと思います。そういうお手本を見ていると、古典そのものよりもわかりやすくなじみやすいものになっている場合が多いです。だからこそ安心して学べると言うことになるのですが、そこで、生じてしまうのが三角関係なのです。恋愛するときにいつまでも友だちや先生・親を連れて行かないですよね。もしかしたら、はじめは必要かもしれません。でも、一人で古典と向き合う時間を多く作ると自分にしか見えないの古典の良さが見えてくるのだと思います。本当の意味で、自分の選んだ古典に恋をしてみませんか?
ほかの人が書いた臨書作品を見る機会も多いでしょう。僕がいつも思うのは、僕が見ている古典と少し違うということです。よく考えたら、当たり前のことです。その人は、その人の角度でその古典との関係を作り上げているのですから。だから、その人がそうしているから、僕もしてみよう。というのは、個性を形成するうえでは、少し邪魔な存在になってしまいます。(二人の関係の邪魔にならない程度に参考にするくらいなら、いいと思うんですけど。)恋愛に置き換えたら、みんな理解できることなのではないでしょうか。映画や小説・ドラマ等でもよくそのことが表現されていますよね。
ただ、三角関係が好きでそういう関係を作る人はそれもいいのかもしれません。それも含めて自由ですから。それの方がおもしろいという人がいても、おもしろいですよね。
もしかすると、先生の作品に恋をしていて、古典は必要ないという人もいるかもしれないですね。