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書道における「気づき」と「発見」

#書道における気づきと発見

自分で発見することの大切さ

書道に限らず、教えてもらったことよりも、自分で発見したことや気づいたことの方が自分の身になっているし、いつまでも記憶に残るのではないでしょうか。みなさんも、自分で発見したことを今でも鮮明に覚えていると言ったことはありませんか?僕も、小さいころ、算数の引き算で学校では習わなかった方法を考えて使っていたことがありました。その時は先生に否定されましたが、何かの本にその方法が紹介されていることを何年かして見かけた覚えがあります。ここでの「発見」とは、「自分の力で発見する」ということです。別にみんながすでに知っていることでもいいのです。

アドバイスのタイミングは難しい

僕は日本で書道を学んだ後、書道の追求のために中国に行ったのですが、あるときこういうことがありました。中国人のある先生に、自分の書いた書譜の臨書を見てもらったところ、1つのアドバイスをもらいました。アドバイスはにはとても感謝していたのですが、正直な気持ちは、「言ってほしくなかった」という気持ちもありました。なぜかというと、その先生が言ってくれた内容は、次の日にでも自分の力でたどり着けそうなことだったからです。人にアドバイスを送るというのは難しいものです。その人の能力と情熱を信じているならば、少し待って、自分で行きつくことを願うのも大切なことなのではないでしょうか。

書譜 部分
唐 孫過庭「書譜」部分

書道塾での取り組み

荒金治の書道塾では、古典の法帖を見たときに「どうしてこうなっているの?」「これはどう書けばいいの?」といった疑問を待っています。その疑問があってはじめてそのことに触れることができると考えています。疑問に思う前から、いろいろ説明してしまうと、せっかく「気づき」がありそうなのに、なくなってしまうと思うからです。

爨宝子碑「山」
「爨宝子碑」(405年)の「山」

先日、実際に生徒さんの方から、この一画目の三角の部分はどうしたらこうなるの?という疑問を聞いたばかりです。これまで、僕自身もこの「山」の一画目を書くときに、細くなっていることをそこまで気にしたことはありませんでした。あまり気にならずに、この縦線は書いていたかもしれません。もちろん、気にならない人は、気にする必要はないのですが、はじめから、「ここは細くなっているけど、書くときは気にしなくてもいいですよ」とか、「このように書いてみましょう」のような声かけをしてしまうと、はじめから考えることをしなくなる可能性があります。あくまでも、自分で問題点を見つけて、その問題に対して取り組んでいくことが理想だと考えています。

考える力を養う

書道を何年もしていると、自分で考える力が必要となってきます。すべてを教えてもらった後に、いきなり自分で考えることを求められても、それはとても難しいことなのではないでしょうか。「自分で発見すること」を、書道の第一歩から育てていくことは、何よりも大切なことだと感じています。

この記事の著者

荒金 治

1974年3月18日生まれ。父である書家荒金大琳に師事。大分県別府市出身。別府大学を卒業後、中国北京に留学する。北京語言学院で中国語を学び、北京大学での本科(学部)・修士課程を経て、北京師範大学で博士号を取得。これまでに、別府大学、別府市立別府商業高等学校、北京語言大学で教鞭をとった経験があります。書道について思考してきたことを、言葉にしていきたいです。

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