もしも、今中学生が習いに来たら
もちろん、臨書をたくさんしてほしいです。一つ目に好きな古典を臨書して、次に行きたいときに次に行っていいのですが、この臨書を、10年は続けてほしいです。4000年の歴史と言われていますが、いくつの古典があるかわかりますか?今も中国では、地下から出土されている資料が整理されています。10年では、もちろんすべてクリアすることはできません。だから安心して取り組むことができます。しかも、はじめに臨書した古典について、何年か後、もう一度取り組んでみると、また違った角度で考えることができるでしょう。いろんな表現を見つけていくことがどんなに面白いことなのか、たぶんこれを実践した人にしかわからないのかもしれません。
10年たっても、臨書は続きます。一生続きます。でも、はじめの10年は、純粋に古典に恋をしてみましょう。
創作作品を求められることが多いのが現在の現状なのかもしれません。創作作品にもいろいろあります。この10年は、古典で得たことをそのまま表現するような作品を作ってもいいと思います。臨書と創作の関係について、多くの議論がされていますが、本当に、臨書でしたことを創作で表現するということを楽しんでほしいです。
ここで、気をつけたいことがあります。それは、お手本の存在であったり、ほかの人の作品の影響などです。今は、お手本や、ほかの人の作品の影響の中で作品を作っている人も多いかもしれません。それが悪いと言っているのではありません。お手本をもらっても、ほかの人の作品を見ても、ここで書いていることは矛盾することはないと思います。自分の信念として、古典とのつながりを意識していけばいいと思うからです。
このコラムでは、あくまでも、今中学生が来てくれたらということを考えて書いてみました。まだ何の影響もうけていない中学生。ここから始動することができるとしたら、こうしてみたい。という理想の絵を描こうとしているだけです。10年という年月が過ぎたあとは、ほかの人の作品を見ても、流されずに自分の道を進むことができると思うからです。
もちろん、中学生でなくても、何歳でもいいはずです。これから、自分探し、はじめて行きましょう。
(ちょっと追加)
これはあくまでも一つの例として考えてみてください。
実際に来た中学生には、まず、何をしたいのか聞くことから始めたいと思っています。
書きたいことを見つけて書くことが一番いいと思っています。